微笑ノ樹
HOHOEMI NO KI
〜円空ニ倣ヘル十一面〜
~11 Faces after Enkû~
for (Left-Hand) Piano
(2012)
* * *
Face 1°:山ノ佛 Yama no Hotoke
Face 2°:鳥ノ佛 Tori no Hotoke
Face 3°:水ノ佛 Midzu no Hotoke
Face 4°:獣ノ佛 Shishi no Hotoke
Face 5°:月ノ佛 Tsuki no Hotoke
Face 6°:里ノ佛 Sato no Hotoke
Face 7°:花ノ佛 Hana no Hotoke
Face 8°:蟲ノ佛 Mushi no Hotoke
Face 9°:火ノ佛 Hi no Hotoke
Face 10°:鬼ノ佛 Woni no Hotoke
Face 11°:河ノ佛 Kawa no Hotoke
* * *
樹の裡(うち)に隠れた“佛(ほとけ)”を彫り起こす佛師。
2011年2月、ピアニスト・舘野泉氏の左手による演奏と初めて直に接した折、烈しい精神と柔らかい慈愛の奇跡的な共存を感じながら、私は咄嗟にそんな連想を抱いた。
ご子息のヴァイオリニスト・ヤンネ舘野氏を介して依頼されたニ重奏曲「精霊の海」を同年9月に完成した後、間髪入れずピアノソロ作品の委嘱を受けた時、かつて想念に現れたあの佛師は「円空(えんくう)」に違いない、という不思議な啓示が、何処からともなく訪れた。
円空(1632-1695)とは、江戸前期に生きた美濃國(みののくに)出身の遊行僧。幼くして長良川の氾濫で母を亡くした円空は、同じ河辺に入定(にゅうじょう)するまでの生涯に亘り、美濃・飛騨・尾張を中心に、南は伊勢・大和、北は津軽・松前、果ては蝦夷國(えぞのくに)まで遍歴し、実に12万体を数える夥しい神佛像を彫ったと謂う。
“鉈彫(なたぼり)”とも称される一見荒削りの木像群は千変万化の佇まいを見せるが、しばしば樹そのものから湧き出たような微笑(ほほえみ)がその顔に零れる。単なる優しい笑みではない、怨嗟(えんさ)から歓喜(かんぎ)へ、生類(しょうるい)のあらゆる業を包み込む微笑。
風土の万象に“佛”を見出し地神供養して歩いた円空の姿、その彫像に浮ぶ厳しくも慈しみ深い於母影(おもかげ)——とりわけ高賀の一木三像、左手に水瓶抱える十一面観音——・・・「左手の音楽祭」はじめ、厖大な新作を触発しつつ人々の内へ広がり沁みる舘野泉氏の音と姿に、それは私の中で、いとも自然に重なった。
こうした心象に導かれ、作曲もまた、いわばピアノの中に知られず潜む“佛”を彫り起こそうとするような営みとなった。2012年の晩春から取り掛かり、7月15日、円空入滅の日に完成した。
「微笑ノ樹」は、11の面(Face)から成る。
山に発し里を経て河へと至る旅の道筋に沿いつつ、紆余曲折のその途上で彼僧が出遭う、有象無象に垂迹(すいじゃく)した“佛”の顔が、ひとつまたひとつと結ばれていく。
前半部1°〜5°(山鳥水獣月)/間奏曲6°(里)/後半部7°〜11°(花蟲火鬼河)と大きく3つのグループに分けて演奏されるが、十一面揃ってはじめて一体の作品である。
※本作品のタイトル表記について:各種メディア・ホームページ等に「微笑みの樹 〜円空に倣える十一面」等と表記されている場合がありますが、正しくは本ホームページ記載の通り「微笑ノ樹 〜円空ニ倣ヘル十一面〜」です。
[委嘱]
舘野泉・左手の文庫
[演奏記録]
2012年11月25日 福島県 南相馬市民文化会館ゆめはっと (Pf:舘野泉)【初披露】
2012年11月29日 東京都 サントリーホールブルーローズ (Pf:舘野泉)【初披露】
2012年12月8日 東京文化会館小ホール (Pf:舘野泉)【世界初演】
2012年12月14日 ドイツ、ベルリン 日本大使館 (Pf:舘野泉)【ヨーロッパ初演】
2013年2月3日 宮城県栗原市 けやき会館市民ホール (Pf:舘野泉)
2013年6月26日 奈良市 秋篠音楽堂 (Pf:舘野泉)
2013年6月27日 神戸市 松方ホール (Pf:舘野泉)
2013年6月29日 東京都 銀座ヤマハコンサートサロン (Pf:舘野泉)
2013年6月30日 横浜市 ひまわりの郷 (Pf:舘野泉)
2013年9月25日 京都府京丹後市 丹後文化会館 (Pf:舘野泉)
2013年10月13日 仙台市 青年文化センター (Pf:舘野泉)
2013年12月7日 長崎県佐世保市 アルカスSASEBO中ホール (Pf:舘野泉)
[献呈]
舘野 泉
[批評その他]
▼先週、東京都内で開かれた「東燃ゼネラル音楽賞」(洋楽の部)の贈呈式に舘野さんの姿があった。記念演奏では、作曲家の平野一郎さんから贈られた「微笑(ほほえみ)ノ樹(き)」を初めて演奏した▼二年ほど前、初めて接した舘野さんの演奏に、樹の内に隠れた仏を彫る仏師を連想したという平野さんが、十二万体もの神仏像を彫った江戸時代の僧円空をイメージした。深い静謐(せいひつ)の中、時に激しい感情が立ち上る▼引き込まれているうちに、どの手で弾いているのかは意識から消えた。優れた音楽は演奏そのものが強く語りかけてくる。
(東京新聞コラム「筆洗」/2012年12月1日付)
平野一郎さんの「微笑ノ樹」の譜面を受け取った時、これは日本が真に世界に誇れる立派な作品だと直感した。残された自分の生涯で弾き続け、音の中に潜む「佛(ほとけ)」を掘り起こしていくのだと思った。その世界初演は2013年の5月に東京文化会館で行われると予告されていたが、本年12月14日のベルリンでのリサイタルで初演と決まり、いままた、ベルリンの前に本日、この会場で初演をさせて頂くことに変更させて頂いた。お許し頂きたい。
(舘野泉/2012年12月8日 左手の音楽祭vol.3プログラム添付資料)
「昨年12月の「左手の世界シリーズVol3」での平野一郎〈微笑ノ樹 〜円空ニ倣ヘル十一面〜〉は、ベルリンでも演奏され、スタンディングオベーションの拍手喝采。「曲で描かれている11のキャラクターの木彫りの仏像に関して、ベルリンの聴衆は内面やピアニズムなど、良く聴いて下さっていました。平野君の作品は、どれも規模が大きくて深い。37歳の若さで、よくこのような素晴らしい作品が書けるなと思いますね。」
(舘野泉/音楽の友2013年3月号インタビュー)
…とても自然な書き方で、人や鬼や火や水、そして里童や鳥や蟲など、全てのものがひとつになって踊り、語り、呼びあい、揶揄したりしている。それが目に見えるように聴こえてくるのだ。
冒頭の〈山の佛〉で遊行僧円空は、高みから裾にひろがる眺めを見ながら、これからの旅を思い、さまざまな佛たちとの出会いに思いをはせる。そのさまが、悠々と息長くメロディにのせて謡われていき、それに続く〈鳥の佛〉となると世界は急速に動きだす。光は輝き、歌は溢れる。なんと鮮やかなコントラストだろう!そして次の〈水の佛〉になると流れが現れ、その中に「瀧女神」の姿が初めて見えて(聴こえて!)くるのだが、この曲を弾くと私は自分の左手を、両手で弾けた10年ほど前まで、なんて粗末に扱っていたのだろうと思ってしまう。左手はそれこそ、両手で弾いても出来ないことをやってしまうではないか!…
《微笑ノ樹》は現代日本が世界に誇れる傑作だと思う。2012年11月に南相馬で初試演、東燃ゼネラル音楽賞の授賞式で初披露したが、正式の世界初演は同年12月東京文化会館、ヨーロッパ初演はその1週間後ベルリンであった。それ以後も各地で演奏を続け、多くの方に喜んでいただいている。
(舘野泉/2013年9月音楽之友社刊/左手のピアノ・シリーズ〈微笑ノ樹〉楽譜解説)
(C)HIRANO Ichiro 2012