鬼の生活

WONI NO SEIKATSU

 

[ GOBLIN LIFE ]

 

左手のピアノで綴る野帳(フィールドノオト)

 

Lefthand Piano Fieldnotes

 

À Izumi TATENO

 

2021

 

1) はしり鬼 hashiri-woni  [running goblin]

 

2) はたらき鬼 hataraki-woni  [working goblin]

 

3) くつろぎ鬼 kutsurogi-woni  [relaxing goblin]

 

4) わらひ鬼 warai-woni  [smiling goblin]

 

5) ふざけ鬼 fuzake-woni  [playing goblin]

 

6) うたひ鬼 utai-woni  [singing goblin]

 

7) をどり鬼 wodori-woni  [dancing goblin]

 

8) ねむり鬼 nemuri-woni  [sleeping goblin]

 

9) うなされ鬼 unasare-woni  [moaning goblin]

 

10) いかり鬼 ikari-woni  [resenting goblin]

 

11) あばれ鬼 abare-woni  [raging goblin]

 

12) なき鬼 naki-woni  [crying goblin]

 

13) かくれ鬼 kakure-woni  [hiding goblin]

 

 

 

あるときは旅先で

 

あるときは心の奥で

 

事ある毎に出くわした

 

鬼という鬼の生態を

 

人生の道半ば

 

夢中に参与観察し

 

左手のピアノで綴った

 

虚実皮膜の野帳(フィールドノオト)

 

 

 

令和三(2021)年正月は、ちょうど八疋のセロ鬼の為の曲「ヲニノウタゲ」を書きながら家籠り。コロナであろうとなかろうと変わらぬ作曲鬼の日々を過ごす所に、舘野泉さんからポンと一通のメールが。曰く「秋のリサイタルの為に、鬼の曲を!」。藪から鬼の思いがけない文面、急なお話にやや困惑する当方を差し置いて、肚の中で飽き足らぬ鬼共の方がカケカケ(書け書け)と一斉に反応、他の様々な作曲予定をドカドカ追い越し、あれよあれよと晩春には完成してしまった。こうして生まれたのが「鬼の生活」。曲は連続する13章から成る。通念や先入観の向こう側で、ともすると人間よりも人間らしい知られざる鬼の姿が、次々と多面的・多角的に紹介される。とりわけ異様に長い11)あばれ鬼は全曲の白眉であり、それ自体独立した楽中楽でもある。

 

1) はしり鬼宵闇の都大路、縦横無尽に駆け抜ける影と(あしおと)夜の暗みに乗じて跳梁跋扈する鬼の所業は、人には理不尽な乱暴狼藉そのものであるが、善くも悪くも彼らの社会の持続に欠かせない生業(なりわい)である。鶏鳴告げる明け方になると、鬼の一行は山の(ねぐら)へ意気揚々と帰還する。

 

2) はたらき鬼峨々たる峯の磐城(いわじろ)の大門。一行が外から呼びかけると、内の小鬼がつぎつぎ応える。集落に入ると老若男女が総出で迎え、愉しげに作業歌を掛合いながら、その日の収穫を皆で手際よく(さば)。能力に応じて労働し、必要に応じて配分される——鬼の社会は原始共産制である。

 

3) くつろぎ鬼ある雄鬼が群れから離れ、集落を見下ろす丘の上、茨木の茂みの傍らでほっと一息。鳥の囀り、風の囁き、やすらひの笛の幻に、うつらうつらとうたた寝すると、一疋の若い雌鬼が傍らに。

 

4) わらひ鬼雌鬼の牙の間から漏れる、小鳥のようにあどけなく猛禽の鋭さを含んだ笑い声に目を覚まされ、屈強な雄鬼もすっかり心を奪われた様子。嬉しそうにおずおずと、ただ口真似で返すのみ。

 

5) ふざけ鬼じきに()れると、(はや)したり(くすぐ)ったり(つね)ったり()んだり追いかけ合ったり、ふざけ戯れる鬼の姿は(おぞ)ましくも美しい。天賦の本能に従って生きる鬼の社会には、私的所有の概念がない。友情も恋愛も繁殖も、獣のように真剣で、残酷なまでに純粋無垢だ。

 

6) うたひ鬼丘の下では仕事終わりの日々の直会(なおらい)枯れた味ある長老の短い先導に続いて、地面も(たゆ)む手拍子と共に、賑やかな宴席の歌が始まる。木の実と熊乳で醸した昔ながらの濁酒(どぶろく)を大盃で廻し呑む。時折ひしゃげ鬼めく調べの呼応唱(コール&レスポンス)及び左右交唱(アンティフォナ)。大らかな無心に発する老若男女の声が思い思いに重なり合わさる。人の社会に失われた、天真爛漫の調和(ハーモニー)

 

7) をどり鬼酒が回って宴もたけなわ、音頭出しの新しい節が胴間声で歌を破ると、巨石に熊皮を張った鬼太鼓が四方八方から打ち鳴らされ、雷鳴のように辺りの山々に響き渡る。それに鼓舞され飛び出した赭ら顔の鬼達は皆、テホヘテホヘと奇態な念仏唱えながら踏み轟かし踊り狂う。

 

8) ねむり鬼鬼の驚異の生命力は、働き遊び呑み歌いひたすら踊ってようやっと、深い眠りの淵へと鎮む。揃って眠る鬼達の寝息は、磐城を取り囲む鬱蒼とした森の樹々を揺らし、やがては鬼山(をろし)となる

 

9) うなされ鬼鬼はしばしば睡りの裡で魔に襲われ、苦しそうに魘され呻く。人に逐われて故郷を離れ流浪・隠棲へと零落した、その痛ましい顛末が沸々と無意識の底から甦るのだ。かつて憎き雷公(らいこう)童子を(かた)(おび)き出した、麓郷囃子(ろくごうばやし)の太鼓の律動(リズム)は海馬の奥で響き続け、夢を縁取る固執低音(バッソ・オスティナート)となる。

 

10) いかり鬼起床直後の鬼の情緒は、おしなべて酷く不安定。日々の暮らしの裂け目に覗く情動(ルサンチマン)の塊を晴らし解き放つ為にこそ、並外れた非日常(ハレ)の昂揚が烈しく要求されるのである。

 

11) あばれ鬼鬼の祭は青天の霹靂の如く突発するが、ひとたび起こると昼夜を問わず飽くまで続く。荒々しい原初の衝迫がありありと閃き碎け飛び散らばる、呪文・歌唱・奏楽・舞踏が未分化に渾然一体となった、もうひとつの鬼剣舞(をにけんばい)悪路王(あくろわう)大嶽丸(おほたけまる)に酒呑童子、悲運の英雄に無名の戦士、有象無象の鬼達の辿った紆余曲折と栄枯盛衰が、一篇の舞踊詩として顕れる。「打つも果てるもひとつのいのち」——旋風(つむじかぜ)のごと吹き荒ぶ、まつろはぬ種族(モノ)狂騒乱舞(ディテュランボス)

 

12) なき鬼…「鬼に横道無きものを」——祭の後は悲しみの坩堝(るつぼ)鬼達の目から涙が溢れ瀧となる。鬼が哭くときは、さながら号々たる大山鳴動、一斉である。個の悲しみ即ち族の悲しみというのが、鬼の誠であるという。

 

13) かくれ鬼斯様に鬼は隠れ棲む。隠【ヲン】が転じて鬼【ヲニ】となった。「鬼さんこちら、手のなる方へ」——影鬼、高鬼、隠れ鬼、目隠し鬼に手つなぎ鬼。鬼ごっこなる幼年の人の遊戯には、遠い昔日たしかにあった、鬼と人との幸せな交流の記憶が今も密かに(こだま)している。

 

 

[委嘱]

 

舘野泉 左手の文庫

 

 

[献呈]

 

舘野泉

 

 

[演奏記録]

 

2021年12月17日 フィンランド 舘野泉(Pf)

2022年2月8日 東京都 ムジカーザ 舘野泉(Pf)

2022年6月15日 東京都 東京文化会館小ホール 舘野泉(Pf)

2022年11月5日 福島県南相馬市 ゆめハット 舘野泉(Pf)