天かける橋

宮津天橋高等学校委嘱作品

 

作詞・作曲    平野 一郎

 

 

* * *

 

本作は「風土性と普遍性を兼ね備え、新時代に相応しい校歌を」という宮津天橋高等学校からの求めに応じて、2019-2020年に作曲しました。全て平仮名で綴られるやまと言葉のやわらかい響きの内に、連綿たる丹後地方の神話・伝説・風土・歴史・文学等をめぐる無数のしるしが散りばめられています。同地の自由民権運動の雄・天橋義塾の自主自律/質実剛健の精神を受け継ぎ、彼らが成し得なかったもう一つの近代に通じる道を示すべく、言葉にまこと相応しい音調を探りあて、通り一遍の軍楽調と一線を画する奥ふかく誇りたかい旋律・律動・和声を纏わせました。凛々と響きあう詞/曲がおのずと宿す光と影のあわいに、丹後特有の精神風土を見果てぬ未来へと解き放とうと志したものです。
2019年12月の納品後、同校より歌詞の一部について思いがけぬ物言いがついたため、繰り返し真摯に協議を重ね、2020年1月には先方の意向を踏まえ新たに"改稿"を作成し"初稿"と共に再び納めたものの、残念ながら校歌としての採用は当座見送られることとなりました。同年8月末には読売新聞紙上にて"幻の校歌"として紹介され、静かに反響が広がりつつあります。なお同校は本作を"芸術作品としては素晴らしい"とし"今後活用方法を検討する"との意向を示しています。以上、作り手としては思いもよらぬ展開であったとは言え、間違いなく同校の委嘱によって新たなる丹後の精神歌が生まれた、ということを喜びます。難しい時代を生きる今日の私たちから放った回向echoが、同校生徒の皆さんをはじめ未来を担う多くの人々へと届き、末永く受け継がれてゆくことを願っています。

[初稿]


一、

わたしたちは どこからきたか

ひかり こぼれる まなびやで
すぎさりし さきに といかける

やみふかき みなそこに みみをすませば
ほろびても ほろびえぬもの さんざめく

まちをいだき うみにちかおう

かぎろひの ちにめざめ
あまはせる たつとなれ


二、

わたしたちは なにものなのか

ひかり もつれる まなびやで
よこたわる いまに といかける

ふきすさぶ つちかぜに からださらせば
なくしても なくしえぬもの さんざめく

やまをせおい たににちかおう

うばたまの よをてらし
すみわたる つきとなれ


三、

わたしたちは どこへゆくのか

ひかり あふれる まなびやで
きたるべき すえに といかける

そらうかぶ しらくもに こころひらけば
わすれても わすれえぬもの さんざめく

つちをふまえ ほしにちかおう

あらたまの ときをえて
あまかける はしとなれ

 

 

 

[改稿]
 
一、

わたしたちは どこからきたか

ひかり こぼれる まなびやで
すぎさりし さきに といかける

あおふかき みなばらに みみをすませば
かわりても かわりえぬもの さんざめく

まちをいだき うみにちかおう

かぎろひの ちにめざめ
あまはせる たつとなれ


二、

わたしたちは なにものなのか

ひかり もつれる まなびやで
よこたわる いまに といかける

ふきすさぶ つちかぜに からださらせば
はなれても はなれえぬもの さんざめく

やまをせおい たににちかおう

うばたまの よをてらし
すみわたる つきとなれ


三、

わたしたちは どこへゆくのか

ひかり あふれる まなびやで
きたるべき すえに といかける

そらうかぶ しらくもに こころひらけば
わすれても わすれえぬもの さんざめく

つちをふまえ ほしにちかおう

あらたまの ときをえて
あまかける はしとなれ

 

 

 

†詞は校歌検討委員会の趣旨に応えたものであり、題辞「天かける橋」はその共鳴の証である。
††校歌検討委員会との協議を踏まえ、適宜選択可能な初稿/改稿の二様を作成する。