■「根付く」ということ■

 

作曲家・平野一郎

 

「根付く」とは何か、ということを考え続けている。

 「根」というのだから無論何かを草木に喩(たと)えての事。木というものは依(よ)って立つ地面と一体であるかの様に見えるが、実際には根によって大地を掴(つか)み、根を通して養分を吸収すればこそ、高く広く枝葉を張る事が出来る。高く大きな木であればある程、それに比例して深く根を張るもの。音楽もまた同じ。でも音楽における「根」とは、一体何だろう…と。

 昨年8月、各地の祭礼とその音楽を巡る営みの最初の集成として、ピアノと弦楽による作品展〈作曲家・平野一郎の世界 〜神話・伝説・祭礼…音の原風景を巡る旅〜〉を開催した。今年3月、幸運にも青山音楽賞を頂き、更にその直後京都市芸術新人賞を頂くなど、この演奏会は私にとって一つの里程標となった。

 ちょうどその作品展の準備のさなか、取材して頂いた新聞社の記者の方から「ぜひ!」と勧められ、大阪・松竹座で歌舞伎『義経千本桜〜渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)』を観た。壇ノ浦の後日譚でもある『義経千本桜』は、ご存知の通りもともと人形浄瑠璃の演目。通常の歌舞伎の下座音楽に加え、舞台には義太夫と太棹三味線が陣取る。この義太夫の唸りと太棹の響き、こと平家滅亡を語るクダリになると、あたかも平家琵琶の如き音声(オンジョウ)を奏でている事に、はたと気付いた。それも単に三味線が琵琶の音色を模して面白がっている、というのではなく、平家琵琶の音世界の淵源にまで、限りなく近づこうとしているかの様。芝居と共に音楽もまた、滅びた時代への鎮魂を奏でている…それは、歌舞伎『義経千本桜』における前時代(琵琶)と同時代(三味線)とが、音を通して二重写しになる瞬間、でもあった。

 考えてみれば琵琶は、遥か昔に渡来し、平安期に舞楽と共に隆盛を極めた楽器。平安朝の滅びがやがて平家琵琶を生み、いつしか列島文化の重層に織り込まれていった。一方の三味線は、言うまでもなく近世になって琉球から伝来した三線(サンシン)がその起源。琵琶、三味線…かつての渡来楽器が、今や疑いなく我々の伝統の一部となっている、その理由は何なのか。この列島に生きる人々の心の在り様に、深く寄り添い続けたからだろうか。ならば、良くも悪くも近代日本の歩みをその身に刻んだ西洋音楽や西洋楽器もまた、時代を弔(とむら)う響きをその淵源から奏でる時、真に我々の音楽となってこの風土に「根付く」のかも知れない…そんな様々な考えが去来するうち、私の中に奇妙な確信が芽生えた。

 「根付く」とは、過去をひたすら受け継ぐ事ではない。自ら直面する同時代に向き合いつつ、それ故に風土を掴み続ける、相克への意志そのものではないか。根によって大地を掴み、風雪に立ち向かう木と同じように。

 私は現在、立て続けに委嘱された二つのオーケストラ作品に取り組みながら、古典と新作による演奏会シリーズ〈CROSSING 衢(チマタ) PROJECT〉を本格的に始動すべく準備している。殊更に知を振りかざす現代音楽とも、異分野をただ並列させて融合を嘯(うそぶ)くのとも違う、深く風土と繋がり且(か)つすぐれて今日的であるような、伝統と創造がついに一致する領域を、私なりに見据えつつ。

〜京都市芸術文化協会発行『藝文京』2008年10月号掲載