■『水底の星』に寄せて■

 

ピアニスト・堤聡子

 

 新しいピアノ作品を委嘱する、という考えは、私の心の中に常にあったが、長い間実現する事はなかった。ようやく昨年(2005年)、私は神戸でのデビューリサイタルに際し、平野氏に作品を依頼することにした。それがもっとも相応しい時と場所だと思ったからだった。

 出来上がった作品の独特な音世界(波のような流動性と、堅牢な構築性の共存)や、背後に横たわっているであろうアジア的世界観に、当初私は簡単には馴染めず、肉体化するのに予想以上の苦労をした。

 

 不思議な縁で、この作品を、伝統あるモスクワ音楽院大ホールで初演する事が決まった。それがどういう意味を持つのか自分でもよくわからず、少し心細い気持ちで出来たての楽譜を携え、一人ロシアに向かった。

 ロシアでは『平家物語』の翻訳が出版されているそうだ。それを読んだという音楽院の先生が、プログラムノートに佛教用語の補足説明を加えてくれていた。彼女は平家物語について、「非常に美しい文学だ」と言った。

 

 モスクワでの初演の事は、今も強く印象に残っている。チャイコフスキーやグリンカ、リムスキー=コルサコフを筆頭に、ズラリと並んだ名だたる作曲家の肖像画が見下ろす美しい舞台で、このユニークな作品を弾いている自分を面白く思った。私の予想を超えて、積極的な反応が返ってきた。厳しいことで知られるモスクワの聴衆だが、異文化に対する敬意と、新しい音楽に対する率直で成熟した態度をかいま見た気がした。

 革命と体制崩壊の記憶を生々しくその躰に刻んでいるであろう彼等が、この作品をどのように聴いたか、私には想像出来ない。作品に対する好意が何に由来するかも。ふと、この作品は彼等のものでもある、という奇妙な考えが頭をよぎった。

 

 モスクワ滞在中、地下鉄の"1905年駅"を歩いて「ここから革命が始まったのです」と教えてくれた男性が、終演後、ロシア名物のチョウザメ料理を前にして興奮する私に「平野氏の曲はとても興味深かった」と静かに言った。彼は数年前まで、ロシア正教会の修道士だったという。

 

〜石豊久&堤聡子 デュオ・コンサート2006 パンフレット寄稿