あの町は今日もお祭り

くにたちオペラ『あの町は今日もお祭り』
プログラムノート

記・平野一郎

 

 はじめは 2017年の夏だったか。くにたち芸小ホールの斉藤かおりさんが相模湖交流センターでの inc.percussion days(加藤訓子さんプロデュース)にて上演された拙作「秋の歌」(女声:吉川真澄さん)をお聴きになった。翌18年3月“出雲の春”にお越しになり、19年3月演出家・川口智子さんと連れだって再び来雲、今度はお二人で交響神樂の初演に立ち会われた。それから程なく新作オペラ作曲の白羽の矢が飛んできた。

 同年秋、驚くほど早く届いた多和田葉子さんの台本は、それらしいオペラのリブレットとは無縁の潔さで、役名以外はト書きもなく声種も楽器も構成も指定なし。こちらの全てが問われる、だからこそ願ってもない形。何よりその溢れ弾ける言葉に出会って己の中の音楽が待ってましたと歓喜踊躍しはじめた。

 髪逆立てて貪り読んだある夜の夢の中、第一幕に登場する金魚(=元ヲロチ)が色とりどりの多声で織り成された歌をうたいだし、これは金魚のマドリガーレだ!と飛び起きてノートに「五人一役!」と記したのを皮切りに、指揮者なしの楽隊、時を刻む打楽器群、歌手/俳優の二人一役、どうぶつこどもシュプレヒコール、本編各幕の導入楽とりわけ道行δの空想祭儀(呪文テクスト:川口智子さん)など、演出家との濃密なやりとりを重ねるうちに呆れたアイデアが次々と堰を切り、構想はひとりでに膨らんでいった。

 2020年、地球まるごと見えない水に浸されて日常と非日常がひっくり返り...静まりかえった世界を尻目に台本の言葉の海へ深海魚になって潜り込み、毀れた星空のもと闇深き水底に光るコトダマオトダマをひとつまたひとつ、耳を澄ませて追いかけ追いこし、20年末にラフスケッチ、21年秋にヴォーカルスコア、22年正月にフルスコアを完成した。全身全霊の稽古を重ね、いよいよ春も盛りを迎えて、5人の歌手・2人の俳優・1人の舞手・9(5+4)人の楽隊に煌めく猛者が集い、ここに生きる人々が身体ごとコロスとなって、声なき声を含む聲という聲が呼び交わす瞬間を待つ。

 時の番人司るオペラという装置は、バロックの言葉の通り、声の楽園たるルネッサンスの廃墟に現れた、もとより壊れた劇場である。その不可能性への挑戦を真に叶えたわずかな傑作たちを踏まえつつ、現代に至る既存のオペラの纏った様々な通念を捨てて根源から掘り起こし、かけがえのない風土と現在が鬩ぎ合う響きの真っ只中で、音楽・言葉・舞踊・すべてが渾然一体に立ち上がるもうひとつの祭を目指して――生まれてきたのは…

 

幕開 ヤヤホ天神祭囃子

第一幕 天満宮のお祭り

でんでこでこでんの祭り囃子(コーラス)に賑わうヤヤホ天神の境内。ひとりのコドモ(クーニー:童声)に夜店の金魚(ソプラノ/メゾソプラノ/カウンターテナー/テノール/バス)がこっそりと世界の秘密を喋り出す。

 

道行α タタマ川端犬婿入行列

第二幕 ヤヤホの宿

犬婿の声(カウンターテナー)が彷徨う江戸情調に浸されたタタマ川沿いの宿屋のひと時。宿の女主人(メゾソプラノ)が微笑み浮かべて唄い懸ける魔法に、旅の男/旅の女(ソプラノ&俳優/テノール&俳優)の心中物語が、たまらん坂へと思いも寄らぬドンデン返し。

 

道行β クニタタズ行進曲

第三幕 むずかしい時代

きな臭い近未来のディストピア日本。「くにたたなくてよし」と連呼するアナーキーな群衆(コーラス)の声に縁取られた、祖母(バス)と孫(童声)の生存賭けたユーモラスな対話。

 

道行γ フジミミ台円舞曲

第四幕 昭和の未来都市

フジミミ台の学校から絶え間なく流れる3×3拍子のへんてこワルツに乗って少年少女(市民ソリスト)が踊り歌う。ヤヤホの山を削って出来た新住民のユートピアの空を、希望と善意と正義の過剰が息もつかせぬほど隈なく埋め尽くし、抵抗する動物たちモノドモの異議申し立てをかき消して、晴れがましい未来讃歌1966(コーラス)が鳴り響く。

 

道行δ ヤポネシアン弥撒

第五幕 あまのじゃくのあまのがわ

謎めいた秘祭が執り行われる水底を踏み破って抜けでた天空、不思議な老人(おとなターチ:カウンターテナー)とその眷属(こどもターチ:童声)に導かれ、全曲を恐るべき形で包摂する、油断大敵の大団円へ。

 

[委嘱]

 

くにたち市民芸術小ホール

 

 

[初演]

 

2022年 4月30日 5月2日 5月3日