精霊の海
SEIREI NO UMI
~小泉八雲の夢に拠る~
~Based on Lafcadio HEARN’s Dream~
(2011/「舘野泉左手の文庫(募金)」助成・委嘱作品/ヤンネ舘野&舘野泉両氏に)
DUO for Violin & Left-Hand Piano / à Janne TATENO & TATENO Izumi
小泉八雲(ラフカヂオ・ヘルン)著『知られざる日本の面影』所収の一篇「日本海に沿って」に、美しくも印象的な場面がある。
夏は盆、精霊舟(しょうりょうぶね)の頃、出雲から東へと海に沿う旅の終わり、浜村温泉の海辺の宿で八雲が見た、一夜の夢の素描(スケッチ)。
薄日射す石畳に立つ、謎めいた女の影...そうだ、出雲の女だ...その唇を伝って古より届く物哀しい声...呼び起こされるケルトの子守唄の記憶...女の長い黒髪は渦を巻き、青い飛沫を散らし波立つ...そのうねりが遥か彼方に遠のくや、女の影はふと消える...残ったのはただ一面の大海原...静寂にゆっくり砕ける青い波頭が、天空の果てまで煌めいている...宵闇のなか夢から醒めた“私”の耳には、現世(うつしよ)の海の轟きが聴こえる。佛海(ほとけうみ)の引潮に乗って沖へと還りゆく精霊たちの、そのざわめきが...。(大略)
去る1月拙作モノオペラ〈邪宗門〉終演後の一席で、ソロコンサートマスターをみごと務めて下さったヤンネ舘野氏から、慎み深く言葉を選びつつ「ヴァイオリンと左手ピアノの新作デュオを...」との打診を頂いた時、なぜか以前から心に留まるこの一節が浮かんできた。
四方を波に洗われる我が風土は、死せる魂を鎮め還す“ 精霊流し”に象徴されるように、常に海への祈りと共にあった。
“稲村の火”の伝説を通じてTSUNAMIという言葉を世界に伝えた八雲は、猛烈な近代化の世にあってその流れに抗いつつ、海を畏れ尊ぶ日本の民の心根に、驚くほど鋭く深く共振した人。
海と歌を縁としてケルトと出雲が不思議に融け合うこの文章は、我々が忘れかけた何かを(今こそ)強く、生々しく喚起する。
〈精霊(せいれい)の海〉は、私が深く魅せられている音楽家=ヤンネ舘野&舘野泉両氏に導かれて産まれた二重奏曲。
同時に、我が風土を終の棲処とした小泉八雲への、後代からのささやかな返礼でもある。
曲は連続する 13 の場面(Scene)から成る。
時折現れるヴァイオリン/ピアノそれぞれのモノローグが、途切れそうになる音楽を繋ぎ留め、沈黙する他方へとはたらきかけては、新たな物語を紡ぎ出してゆく。
* * *
Scene 1° 佛海(ホトケウミ)・序 Hotoke-Umi・Introduction
Scene 2° 面影(オモカゲ)I [ヴァイオリン独奏] Glimpse I [Violin-Monologue]
Scene 3° 地上の対話 Dialogue on the Earth
Scene 4° 子守唄I Lullaby I
Scene 5° 映世(ウツシヨ)I Vision I
Scene 6° 秘儀 [ピアノ独奏] Hidden Ritual [Piano-Monologue]
Scene 7° 水底の対話 Dialogue under the Sea
Scene 8° 渦濤(ウズナミ)・子守唄II Spiral Waves・Lullaby II
Scene 9° 映世II Vision II
Scene 10° 面影II [ヴァイオリン独奏] Glimpse II [Violin-Monologue]
Scene 11° 天空の対話 Dialogue at the Sky
Scene 12° 子守唄III Lullaby III
Scene 13° 佛海・畢 Hotoke-Umi・Extroduction
[委嘱]
舘野泉・左手の文庫
[編成]
Vn/Piano(Left-Hand)
[演奏記録]
2011年12月11日 東京文化会館小ホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年2月16日 福岡市 あいれふホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年2月17日 大阪市 イシハラホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年2月19日 札幌市 札幌コンサートホール小ホール(Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年3月17日 愛知県豊田市 豊田市コンサートホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年3月25日 兵庫県篠山市 たんば田園交響ホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年4月25日 福島県南相馬市 南相馬市民文化会館 (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年9月7日 宮城県仙台市 電力ホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2012年10月12日 富山県高岡市 高岡文化ホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2013年9月12日 北海道士別市 士別市民文化センター (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2013年9月21日 東京文化会館小ホール (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
2013年10月17日 東京都 ムジカーザ (Vn:ヤンネ舘野 Pf:舘野泉)
[献呈]
ヤンネ 舘野 & 舘野 泉
[批評その他]
海岸の景色が美しい京都府丹後地方出身の作曲家・平野一郎さんは、私が最も心惹かれる若手作曲家の一人です。2011年1月に、彼のモノオペラ「邪宗門」の公演に参加した後、その音楽の素晴らしさが心をはなれず、是非とも新しい曲を書いていただきたいという思いが募り、この度作曲をお願いしました。一年前「邪宗門」のパート譜が届いた時、私は恐怖を覚えました。いつも現代音楽の演奏を自分の知識、能力をはるかに越えた何かと感じ、ためらい、しりごみする癖があります。平野さんは演奏者に対し細部にわたる多くの指示を書いていて、譜読みをするのに時間と労力が必要でした。しかし、この音のジャングルをクリアしたあと、それは何千年もの昔から響いていた音であることを発見した気持ちになりました。平野さんの曲を聴く、また演奏する時、深い海、はるか遠い空、夢の世界そして非現実的な世界へ運ばれるように感じます。
(ヤンネ舘野/2011-12年 "ヤンネ舘野&舘野泉デュオ・リサイタル 新たなる大樹へ" プログラム)
小泉八雲が夢からインスピレーションを得たという短編をもとに平野一郎が、舘野の委嘱で作曲したバイオリンとのニ重奏曲「精霊の海」は、峻厳に対峙する2人の演奏から海を畏れ尊ぶ「出雲の女」の情念がふつふつと沸きあがる。ヤンネの透き通る音色と舘野の幽玄な響きによる対話は、日本人としての感性を刺激した。
(八木幸三/「北海道新聞」2012年2月24日)
(C)HIRANO Ichiro 2011