かぎろひの島
KAGIROHI NO SHIMA
-for Orchestra-
(2004)
[ca 20 min.]
薄闇の岬と滅亡の予感
火の神殿への強いられた行列
黒い凪と水底の祀り
海の叛乱とかぎろひの島の出現
* * *
丹後半島沖約10km、日本海に浮かぶ冠島は、
このあたりに棲む海民の聖地である。
初夏になると沿岸の漁民達が船を繰り出し、
「オシマ参り」という祭礼が行われる。
この島の発生に纏わる、不思議な言い伝えがある。
かつてこの海域に栄え、大宝元年(西暦701年)、
地震と海嘯に滅亡したと謂う、汎海(オオシアマ)郷の水没伝説である。
「時に大宝元年三月己亥(つちのとい)、地震三日已まず。
此の郷一夜にして蒼田変じて海となる。
□かに郷中の高山二峰と立神岩、海上に出で、 今、号して常世嶋(訳注:冠島、沓島)と云う。・・・」
(『丹後國風土記残欠』より)
私はこれらの伝説と祭礼に触発され、水底に沈んだ世界の残照を探ろうとした。
* * *
この作品は、2004年夏に作曲したものである。
2005年6月、東京文化会館での“第29回 現代日本のオーケストラ音楽”
(日本交響楽振興財団主催)において、
小松一彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団によって初演され、
第27回日本交響楽振興財団作曲賞最上位入選、日本財団特別奨励賞を受賞した。
[編成]
Fl.3[=Picc/Al-Fl]/Ob.2/C-A/Cl.3[=Bs-Cl]/Bsn.3[=C-Bsn]
Hrn.4/Tpt.3/Tbn.3/Bs-Tba
Timp/Perc.4
Hrp.2
Strings{16/14/12/10/8}
[演奏記録]
2005年6月10日 東京都 東京文化会館大ホール
(Cond:小松一彦 Orch:東京フィルハーモニー交響楽団)
[批評その他]
平野一郎の《かぎろひの島》は海の底に沈んだ島(ママ)を、幾分モノトーンで巧みな管弦楽法により聴かせる。描写的でイメージし易く古典的構成だが、聴後の満足感はあり。
(西耕一/「音楽現代」2005年8月号)
平野一郎の「かぎろひの島」は丹後半島の沖、冠島の水没伝説からイメージした曲、大地の激動の追憶、水底から浮かびくるかすかな鈍い旋律、金管と木管のなぞり合う祭礼幻想など、個性的な表現が結実していた。
(佐々木光/「新聞赤旗」2005年6月23日)
平野一郎《かぎろひの島》は、丹後半島沖に水没したと伝えられる島の伝説(ママ)に触発されたという作品。低音弦楽器と弱音器付きのテューバの断続に始まり、その他の楽器群で補填しながらそのまばらなテクスチュアを埋めていく。ハープのオスティナートが下地のように、あるいは、かくし味のように使われる中、フルートの下行音型メロディーを他の木管楽器がカノンふうに追いかけ、そのあとは民謡ふう旋律を通して総奏で高まる。それがおさまると、ハープのゆったりとしたオスティナートからトランペットのソロが浮かび上がる。音の重ね方にしっかりした筆致を感じさせる。
各部分が明確に書かれていて、できごとが次々と開かれていくが、それらが散漫になるのとすれすれのところにある。
(楢崎洋子/「現代日本のオーケストラ音楽」第29回演奏会について)
伝説は音楽でどこまで表現できるか。京都在住の作曲家、平野一郎氏がついに丹後半島沖に沈んだ楽園、凡海郷(おおしあまのさと)をモチーフとしたオーケストラ曲を完成した。平野さんとは、冠島の雄嶋参りでいっしょになった。わたしはもともとクラッシック音楽はよく聞くほうだが、それまで作曲家に出会ったことはなかったので、伝説に取材して曲を作ろうとしている平野氏との出会いは印象的でもあった。特別にお送りいただいた『かぎろひの島』CD(写真)をさっそく聞く。ダイナミックな景観が時空を超えて目前に展開するスケール感のある構成で、そこに雄嶋参りの太鼓や笛の旋律、波のうねる様が重なり合い、伝説の不可思議さ、あるいは謎めいた島影を水平線に見つめるときの興奮や不安といった人の感情の機微までもが美しく編みこまれている。「伝説と祭礼に触発され、水底に沈んだ世界の残照を探ろうとした」と自筆コメントが添えられているように、西洋音楽で日本古来の伝説や民俗の断片、あるいは歴史の奥深さを追跡する平野さんの活動はユニークである。しかしこの曲が第27回日本交響楽振興財団作曲賞最上位入選・日本財団特別奨励賞を受賞したことからもわかるとおり、新たな境地はここについに開かれたのである。
(探検家・高橋大輔/「オーケストラが伝説を奏でるとき」
〜探検家・高橋大輔のブログ2005年7月16日より)
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