■研修成果披露演奏会・モノオペラ〈邪宗門〉への道程(みちのり)■

 

作曲家・平野一郎

 

 

 

 2007826日青山音楽記念館にて開催した〈作曲家 平野一郎の世界 〜神話・伝説・祭礼…音の原風景を巡る旅〜〉は、1996年に始めた各地の祭礼とその音楽を巡るフィールドワークの成果であり、2001年無伴奏ヴァイオリン曲「空野(クウヤ)」に始まる一連の室内楽作品の最初の集成でした。それまでも様々な方面から多くのご支援を頂きつつささやかに活動を続けて来ましたが、当演奏会に対して2007年度・第17回青山音楽賞を頂いたことは、それまでの活動に確かな意義と可能性を見いだし、以後の活動への希望と勇気を与えられると共に、新たな使命と覚悟を抱く、大切な転機となりました。 

 その後、無伴奏チェロ作品「夢祀(ユメノマツリ)」入選による〈ISCM世界音楽の日々2008ヴィリニュス大会〉への参加、古典と新作による演奏会〈衢CROSSING Vol.1α/β〉(α:川崎能楽堂/β:京都芸術センター)の開催、フィールドワークの継続とその成果でもある二つのオーケストラ作品「鱗宮(イロコノミヤ)交響曲」(芦屋交響楽団委嘱)・「八幡縁起(ハチマンエンギ)」(八幡市委嘱)の作曲・初演など、より充実した活動を展開することが出来ました。 

 私にとっての“研修”を含むこうした様々な活動を行っている最中、それら全ての営みが渾然一体となり、しかも新鮮な形で提示されるような“成果披露”の在り方とは…と、考え続けておりました。成果披露演奏会が、受賞公演の単なる延長や近況報告に終わるのではなく、たとえ曲り拗っていたとしても受賞公演から延びる確かな道筋で結ばれ、かつ様々な側面で新たな挑戦を宿すものとしたい…それに通ずる目下の課題は何か、ということを自身に度々問い直しました。

 実は青山音楽賞を頂いたその時から、成果披露演奏会には未開拓の分野である声楽を含む作品が相応しいのでは…という考えが、既に胸の裡にありました。私の凡そ全ての作品には、声・言葉が音象徴による暗号となって潜在している、という共通点があります。片やこれまで私が声楽作品を躊躇ってきた一因は、所謂“日本歌曲”や日本語を用いた現代作品に触れた時しばしば湧き起こる違和感でした。警蹕(けいひつ)の音声や祝詞・声明に始まる吾が風土の声・言葉と神語(カムガタリ)物語(モノガタリ)の豊かな伝統に根源から連なり、言葉を単なる意味の伝達手段と捉えるのでも、単なる音色のパレットと捉えるのでもない、真に日本語のエートスに相応しい表現を目指す、ということが長い間の懸案であり、それが自ずと暗喩的手法に繋がっていたのだと思います。必然的に次なる関門は、その “隠された”声・言葉を顕在化すること、であろうと考えていました。

 他方で、神代・古代・中世と現在の我々とを結ぶ作品を様々志して来ましたが、古の神話的豊饒と現代とを或る意味で“分断”した当の明治期----或いはそれを逆説的に準備した鎖国日本=キリシタン禁教期----更にはそれに先立つ“南蛮文化”の伝来期----と自身の作品世界がどのように切り結び得るのかということも、次に応えるべき課題である、と感じていました。言い換えればそれは、日本における“西洋音楽”の来歴を辿る、ということでもあります。

 加えて、これまでも試行錯誤を重ねて来た演奏家との“協同”----そして未挑戦である様々な異分野との“協同”----の、私(達)なりの新しい在り方を示す機会として成果披露演奏会を位置付けたい、ということも、もう一つの望みでした。

 こうした数ある課題に解答し得る題材に出会い、調査と労作を経て作品を完成し上演を実現すること、それが私にとっての“成果披露”となるのだ、と考え至りました。

 そんな時ふとした拍子に、明治期の文学者・上田敏の翻訳詩集「海潮音」を手に取りました。かつて一度読んだとはいえ、意外に新鮮な思いであらためて眼を通していると、フランス高踏派・象徴派の詩における“Tombeau(墓)という語が、神寂びた古の“奥津城(オクツキ)”という用語で訳されていることに、はたと気付きました。更に頁を繰ってみると、“滄海(ワダツミ)産屋(ウブヤ)荒神(アラガミ)清掻(スガガキ)常世(トコヨ)烏羽玉(ウバタマ)”…次々と類似の翻訳語彙が眼に飛び込んで来ます。日本近代文学の黎明たる「海潮音」、他ならぬその裡に埋葬された古き言霊(コトダマ)の一列。----もしかすると明治期の文学者は、気高くも煌びやかな舶来の象徴詩に釣り合う丈の豊かな語彙を、彼らの常識として未だ在った列島文化の神話世界に渉猟しては、不思議に響き合う異世界を二重映しにして興がっていたのではないか…所詮“翻訳”という固定観念に縛られた読者の側は、それらを只管一義的にのみ受容し、特に我々作曲家は、鄭重に選ばれた古語の蒼然たる響きとその奥行には無頓着に、平らかな文明開化の三和音で彩ってきたのではないか----という奇矯な発想が閃きました。

 そんな着想に誘われ、猛然と明治期の詩集を漁るうち遂に再会したのが、北原白秋の処女詩集「邪宗門」です。その詩文に眼を通した瞬間、私が作曲への憧れを抱き始めた14歳の頃、古い本棚に埋もれた「邪宗門」を開いては訳も判らず魅惑的な別世界に夢中になりながら、いつかこれを作曲したい、と無謀な妄想に耽った記憶が一気に甦りました。矛盾と葛藤に満ちた近代日本の美しき象徴、ともいうべきこの詩集は、上田敏譲りの千変万化する語彙と多元的に移り変わる視点を武器に、南蛮文化の伝来期からキリシタン禁教時代、更には開国の激動に湧き立つ明治期まで、時間の遠近法ともいうべき巧妙なアナクロニズムを駆使しつつ、まるで万華鏡を覗くかのように絢爛と展開します。しかしその青い憧れに満ちた西方礼賛の行間から密かに滲み出している、失われゆく日本の風土への限りない哀惜と郷愁を、今の私は確かに掬いとることが出来ました。白秋は最晩年になって独自の神話詩を開花させましたが、その種子はこの「邪宗門」に、実はもう既に宿っていたのかも知れません。

 西洋への憧れに始まり、失いつつある風土への眼差しを再獲得する「邪宗門」…遥かにささやかなものであるとはいえ、西洋音楽への憧れに端を発しながら風土に根差した音楽へと導かれた私自身の歩みとも、それは幾らか重なる様にも感じられました。

 そこには、今、私の求める全てがありました。

 北原白秋「邪宗門」に再会するや否や、その背景をなす風土をこの身に染み込ませるべく、白秋の故郷・福岡県柳川市の沖端(おきのはた)水天宮を筆頭に、“南蛮文化”の玄関口であった平戸や長崎の街、その長崎を代表する祭礼・諏訪神社の“おくんち”、島原半島の原城跡や雲仙地獄、更にはカクレキリシタンの伝承が集中する生月(いきつき)島、キリシタンの伝道師サン・ジワンを祀ると謂う西彼杵(そのぎ)半島・黒崎地区の枯松(かれまつ)神社とその“祭”等々へ、次から次と訪ね歩きました。 

 実地調査と並行して、様々な文献を読み漁りました。中でも特に興味深く衝撃を受けたのは、カクレキリシタン研究の第一人者・宮崎賢太郎氏の「カクレキリシタンの信仰世界」、長崎県大村市の富松神社宮司・久田松和則氏の労著「キリシタン伝承地の神社と信仰」、それに民俗学者・谷川健一氏の名著「魔の系譜」所収「バスチャン考」です。これらの論考は、日本におけるキリスト教の伝播と土着化の問題を、通常の論や社会通念とは全く違った角度から照らし出すもので、それらの達見に多大なる示唆を受けました。

 旅と考察を経るに連れ、幾度となく読み返す「邪宗門」の行間から私の眼前に浮かび上がって来たのは、南蛮趣味や異国情緒の輝きに隠れた地霊への飽くなき畏れや、“神佛基習合”をも仄めかす異形の信仰など、矛盾と愛憎に歪む諸々の事象が分ち難く捻れ絡んだ、名状し難いもう一つの“日本”の姿でした。

 いうまでもなく日本の西洋音楽界では、天正期のキリスト教音楽伝来をテーマとした演奏会がしばしば行われて来ました。また合唱曲・オペラ等をはじめ、“隠れキリシタン”や“オラショ”を題材・素材とする作品は、既に数多く存在します。しかし私の取り組みつつある新作〈邪宗門〉は、そうした先行する業績とは相当に掛け離れたものであり、同じ時代の同じ事象をむしろ正反対の方向から逆照射しようとしているのだということが、時を追う毎に一層明確化されて行きました。

 様々な旅と調査・考察、そしてテクストの再読を重ねるうち、新作〈邪宗門〉の輪郭・内容も次第に熟し、吾が風土にしか(む)すび得ようのない----いわば潜在的なミサ/オラトリオを蔵する架空の神楽/舞楽である様な----言葉と音と光による“黙示劇”としてのモノオペラ、という構想へと徐々に導かれて行きました。詩集「邪宗門」の厖大な詩の中から32篇を厳選し、6章それぞれに異なる視座(南蛮趣味(オクシデンタリズム)表現主義(エクスプレッショニズム)印象主義(インプレッショニズム)切支丹風(クリスチャニズム)浪漫派(ロマンティシズム)懐古趣味(レトロスペクティズム))を定め、工夫を重ねて再配置し、柳川・沖端水天宮に因んだ間奏曲「阿蘭陀囃子(おらんだバヤシ)」を中央に据えました。「Ⅰ:魔睡・邪宗門秘曲」の南蛮憧憬・舶来展覧に始まり「Ⅵ:古酒・内陣」の京都・三十三間堂に至る隠れた主人公の旅----“麻利耶(マリヤ)”礼賛に始まり“観音”帰依に至る秘められた水脈としての物語----を辿りつつ、事の成り行きを黙って凝視(みつめ)る地霊の眼差しを隠し軸として展開する…単なる“連作歌曲”とも所謂“オペラ”とも異なった、33面の“更紗眼鏡(カレイドスコウプ)”とも喩うべきモノオペラ〈邪宗門〉の構想が、ようやく全体像を現し始めました。

 一方でモノオペラ〈邪宗門〉は、これまでも様々な形で協同し、この未踏の領域へと私の背中を押して下さったヴァイオリニスト・佐藤一紀氏との共同主宰による新ユニット〈音色工房(オンショクコウボウ)〉の旗揚げ公演となることが決まりました。〈音色工房〉は、同時代に生きる作曲家と演奏家が対等に向き合い、対話と葛藤の坩堝(るつぼ)から新たな音楽を産み結ぶ、“職人集団”たることを志すものです。佐藤氏の呼びかけの下、今回は15人から成る室内管弦楽が編成されました。受賞公演でも多大なるご尽力を頂いたピアノ・堤聡子氏やチェロ・林裕氏は勿論、長岡京室内アンサンブルメンバーとしてご活動の方々をはじめ、各地で大活躍されている豪華かつ個性的な演奏家諸氏にご参集頂くこととなりました。独唱(女声)には、東京と関西を二つの拠点に、数々の新作初演で引く手数多の吉川真澄氏を迎えることが出来ました。

 加えて今回の公演では、異分野との初めての協同として、新進気鋭の映像作家・前田剛志氏に映像制作を依頼することとなりました。地水火風空といったエレメンタルな対象の有機的な変態を追求し不思議な映像世界を描き出す前田氏とは、初仕事ながら〈邪宗門〉を通じて共鳴を深め、互いのテクストの解釈からスクリーン形状に至るまで予想を越えた様々な符号を発見しつつ、音楽と映像が制作の過程において触発し合う理想的な協同作業となりつつあります。上演に際して映像と音楽は、常に不即不離の劇しい緊張を孕みつつも、底深く共振しながら相乗的に展開するものとなる、と予感しております。

 そして舞台監督には様々な制作の現場で信頼を集める外村雄一郎氏を迎え、既存のコンサート/オペラとは異なる新たな総合的表現へと、最初の一歩を踏み出すこととなりました。

 様々な紆余曲折を経て、先ず作曲が20109月上旬に完了、その後も次々と立ち塞がる困難に七転八倒しつつ、各方面からのご助力や激励を得て漸進し、モノオペラ〈邪宗門〉は今ようやく成就しつつあります。私にとっても全てが初めて尽くしの冒険ですが、白秋の多彩極まる詩世界と素晴らしき出演陣/制作陣の更なる相乗により、初演のその時には必ずや目眩く別世界が立ち顕われるものと確信しております。

 音と光で織り成されるモノオペラ〈邪宗門〉初演、ぜひ多くの皆様にご来場頂くことを希っております。

 

〜2011年1月29日 京都・青山音楽記念館バロックザールにおける青山音楽賞研修披露演奏会のプログラム、及び同ホールホームページの受賞者メッセージとして掲載