■旅する作曲家 平野一郎氏との出会い■
探検家・作家 高橋大輔
楽屋でもコンサートホールでもない。作曲家平野一郎氏と初めて出会ったのは日本海の波打ち際だった。彼はわたしと同じように海に沈んだ凡海郷の伝説を追いかけて若狭湾、冠島のオシマ参りへとやってきたのだ。
その後、再会したのは京都にある彼の仕事場。何冊もの本を前に仕事をしていることを知り、ちょっと意外な気がした。作曲家は楽器や楽譜ばかりに囲まれているものと考えていたからだ。しかし目に飛び込んできたのは郷土史や伝説、神話、民俗学の本。ふと平野氏の創作活動が様々な関心に裏打ちされた奥深いところから発していることを悟った。彼は伝説や神話を求めて旅をする。神社を訪ね、祭礼を見つめる。旅の中から曲が生み出される。だから彼の行き先はわたしの旅路と重なるところが多い。
当時、わたしは「戌亥の歌」を調査中だった。呪文のようなその歌は昔話浦嶋太郎の故郷として知られる丹後の浦嶋神社、三月の延年祭で歌われる。一説には玉手箱の秘密が歌い込まれているとのことだが、歌詞は暗号のようで意味不明。
聞けば平野氏も延年祭を取材したという。彼は「戌亥の歌」を浦嶋神社の宮司、宮嶋淑久氏と共に歌い旋律やリズムを確かめていた。徹底した取材ぶりに感銘を受けたが、お陰でそれを録音したCDを借り、わたしは謎に迫ることができた。それまで未解読の歌詞に頭を痛めていたのだが、発声された音をある人に聞かせると韓国語で意味が通じるという。浦嶋の秘密は大陸との繋がりに見出せそうだということがわかった。この謎解きを通じわたしは拙著『浦島太郎はどこへ行ったのか』(新潮社)を完成することができたのである。
紙上に書かれた文字ではなく、歌われた言葉の音が謎解きの糸口になるとは目から鱗が落ちる思いがした。しかし考えてもみれば神話も伝説も本来、代々語り継がれてきたものだ。平野氏が音を通じてそれらと関わろうとしていることは原点回帰。いや、新たに作られる曲は太古の神話や伝説に息を吹き込み、現代に生きるわれわれのものとして再生される。そしてそれはさらに未来へと繋がっていく。
丹後と浦嶋神社への旅を終え、平野氏は弦楽四重奏曲『ウラノマレビト』を生み出した。浦嶋伝説の謎、彼は一体どんな答えを見つけたのか?そんな好奇心はさらに別の伝説にインスパイアされた他の曲にも膨らんでいく。浜辺で貝殻にそっと耳を当ててみるように、今度はコンサートホールでそれらの調べに耳を傾けてみたい。
〜2007年8月23/26日
作品演奏会〈作曲家 平野一郎の世界 〜神話・伝説・祭礼…音の原風景を巡る旅〜〉
パンフレット寄稿