■海の命の声 音に伝えて■
詩人・ひらの りょうこ
いやに温かかった。96年大晦日の丹後半島。お年寄りが集まり海を見ている。
「何か、起こっている」。
平野一郎さんは直観した。京都市での大学生活の中で、自身の音楽のルーツ探求を一念発起した平野さんは、そのため郷里へ帰って来ていた。正月明けに京都へ戻り、ナホトカ号が漏らした重油が丹後の海に寄せているとの報道に取って返し重油回収に参加した。黒い油にまみれた岩間に無数の蟹がいた。あの蟹はどうなったか。大学からの派遣でブレーメン芸術大学留学中も平野さんは気になっていた。「丹後の歌を作って下さい」。重油回収を一緒にした地元の人の言葉が重なる。
平野さんは、子どもの頃、海に身を預け浮かびながら波に捲き上がる砂の音を聴いていた。海と離れて暮らしていてもずっと海の底の数多(あまた)の命の声を聴いていた。この声、音にして伝えて下さい…。平野さんはきっと、海の都の人たちから選ばれたのだ。自分の音を出すより先に、他の命の音に耳を傾ける平野さんの音楽は始まっていた。神話や伝説で時の政(まつりごと)の思惑で存在が隠され、また戦さや不条理で海に沈んだ人々の怨念の声。だが、死してなお生き続ける海の命は、滅ぼされようとしてもなお歌い続ける現世の人々の営みの大いなる支えであった。水底からの響き。平野さんは、それを浦々のさまざまな祭の裡に感じてきた。
丹後はもとは山野と深々とした海を有する丹波国(タニハノクニ)の要衝の地。各地の国を次々と統合していった大和朝廷は713年、何故か丹波を南北に分断し海の地を丹後国(タニハノミチノシリノクニ)とした。その後の果てしない歳月にも海と地の分断は繰り返される。埋め立てられてリゾート開発。神社が消え発電所が建つ。神事の奉納ならぬ発電所への”奉納”であっても人々は太鼓を鳴らす。奪われてもなお奪われぬ祭の魂がさんざめく。祭の閧(とき)の声を04年、平野さんはオーケストラ曲「かぎろひの島」に忍ばせた。「遠呂智」「空野」「ウラノマレビト」「水底の星」「夢祀」「鱗宮(イロコノミヤ)」—弦楽とピアノによる作品展『作曲家
平野一郎の世界』で、平野さんは08年3月1日第17回青山音楽賞を受賞した。
平野さんの曲は、伝承音楽と西洋音楽、古きもの新しきもの、それらすべてを呑み込んで、現代という海と地をつなぐ。聴く者は光と波のかぎろいがふちどる円形のあわいにたゆたい、ひと粒の泡になってしまいそう。この音楽の世界。「いつか丹後の漁師さんのこころにとどけたい…」。平野さんがふと呟いた言葉だった。
〜京都民報 2008年4月6日号 連載記事『未開紅(みかいこう)』