■風土のざわめき 耳を澄ませて■
作曲家・平野一郎
丹後半島沖約10km、日本海に浮かぶ冠島(カンムリジマ)(雄嶋(オシマ)/常世嶋(トコヨシマ)/老人嶋(オイトジマ))は、若狭湾一帯に棲む海民の聖地。オオミズナギドリの貴重な生息地で、島全体が禁足地でもある。初夏になると沿岸の漁民が船を繰り出し、“雄嶋参り”という祭が行われる。丹後には冠島の発祥に纏わる不思議な伝承がある。嘗(かつ)てこの海域に栄え、大宝元年(701年)地震と津波に滅びたと謂(い)う、汎海郷(オホシアマノサト)の水没伝説。「時に大宝元年三月己亥(ツチノトヰ)、地震三日已(や)まず。此の郷一夜にして蒼田変じて海となる。□かに郷中の高山二峰と立神岩、海上に出で、今号して常世嶋と云ふ。」(『丹後國風土記残欠』)
私は京都市芸大在学中の1996年より、風土に繋がる自身の音の根を求め、出身地・丹後を起点に各地の祭礼とその音楽を踏査して来た。浦々を巡る最中、様々な祭や伝承に共通の由縁として顕われ来た聖なる島、それが冠島だった。2003年6月、舞鶴市教育委員会に許可を頂き、念願叶って雄嶋参りへの同行が決まった。太鼓に送られ波に揺られること数十分、初めて足を踏み入れた冠島。鬱蒼とした太古の森、荒波に運ばれた真白な流木群、直会(なおらい)の贄(にえ)を嗅ぎつけた海鳥のさざめき。古代、「日本」の誕生と入れ替わる様に水底に沈んだ國、その余韻が祭礼となって今に谺(こだま)している…島の清冽な大気に包まれると、仮想は確信へと変わった。否、もし伝説が大いなる幻想に過ぎないとして、それを産み出し百千年と伝え続ける何かの力、そこにこそ真実がある、と悟ったのだ。
島から戻るや、懸案の大曲に無我夢中で取り組んだ。雄嶋参りと海鳥の群れ、ナホトカ号が流した黒い波、聖なる岬を奪った発電所への神事奉納、海民の荒々しい歌と囃子。96年以降の旅にて臨んだ有象無象が融け合って凝縮し、異形の響きを纏って甦る。こうして最初のオーケストラ曲「かぎろひの島」が産まれた。05年6月東京文化会館大ホールでの“第29回現代日本のオーケストラ音楽”にて小松一彦指揮東京フィルハーモニーにより初演、日本交響楽振興財団作曲賞最上位入選・日本財団特別奨励賞を受賞した。
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去る11年12月、最新作「精霊の海 ~小泉八雲(ラフカヂオ・ヘルン)の夢に拠る~」が東京文化会館小ホールにて初演された。ケルトの子守歌を口ずさむ謎めいた“出雲の女”、その長い黒髪が渦を巻いて青波に変じ、遥か天空に届く大海原となる…鳥取の浜村温泉で八雲が見た盆の夜の夢(『知られざる日本の面影』〜「日本海に沿って」)に触発された作品。我が風土を終の棲処とした八雲は、猛烈な近代化の世に抗い、海を畏れ尊ぶ日本の民の心根に深く鋭く共振した人、“稲村の火”の伝説を通してTSUNAMIという言葉を世界に伝えた人。11年春に着手した本作を、いつにも増して重い筆に悶えつつ、夏の終りに完成した。初演は委嘱者のヤンネ舘野&舘野泉さん父子。泉さんの左手から滴るピアノの雫が波紋を呼び、精霊の吐息の様なヴァイオリンに受け継がれ、絶えることなく新たな物語が紡ぎ出されていく…聴きながら私の耳はいつしか、遥かな聖地からの谺を追っていた。
風土に耳を澄ませる、ということ。音楽に限らず、無数の魂を次の世へ繋ぐ営みの、それは原点であり続けるだろう。
〜京都民報2012年1月29日版”オピニオン“欄に掲載